【どうして常識がわからないの?と思う時】相手との違いを尊重しよう


 こんにちは。心理カウンセラーの相賀ゆかです。
 
  人と接したり、考えを伝えたりする中で、相手との違いが表面化することがあります。そんな「違い」を受け入れないと、どうしても「私が正しいのに」「あなたは間違えている」という考えになってしまいます。確かに自分が正しくて、それを相手に信じてもらえない状況もあるかもしれません。また、立場によって、自分が信じていることと、相手が主張している意見が異なる場合もあります。



 自分の考え方を理解してもらうために説明したり、意見を述べたりといった最大の努力や働きかけをしても、なお相手に通じなかった場合、どのように反応するかは自分次第です。時には、なんとか相手を変えようと一生懸命になりすぎて、怒ったり、泣いたり、声をあらげたり、皮肉や意地悪なことを言ってしまったりするかもしれません。しかしそれは、本来の目的である「理解してもらう」ことをもっと困難にしてしまいます。そんな時は、相手も、自分も、その考えを持ち続ける権利があるということを認めましょう。
 


 また逆に、相手の意見をいつもそのまま受け入れてしまうと、今度は「あなたが正しい」「私が間違えている」という正反対の考えに陥ります。強く言われたからといって、納得のいかないことを同意しなくてもいいのです。特に、自分が少数派の立場であったり、不合理な支配下の状況で、周りからいじめられたり、家庭内や会社などで威圧的に責められたりしたときは、誰がなんと言おうとも、自分は自分の味方になってあげることが大切です。



 心理療法の一つにあるゲシュタルト療法の考え方では、このような状況の時には、どちらも間違えていない、と捉えます。この考えに基づいて、精神科医のパールズが作った『ゲシュタルトの祈り』という詩をご紹介しましょう。



私は私のために生き、あなたはあなたのために生きる。 私はあなたの期待に応えて行動するために、この世に在るのではない。 そしてあなたも、私の期待に応えて行動するために、この世に在るのではない。 それで偶然、気持ちが通じ合えば、それは素晴らしいことだ。 通じ合えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。

 気持ちが通じ合う、通じ合わないに関わらず、相手との違いを受け入れることは、相手や自分を大切にすることだと、この詩は教えてくれているのでしょう。


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